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Maison de 玄花で一点物のあなたへと目覚める
2019.07.25
ようこそ我がメゾンへ
玄花のサロンの名称を「メゾン・ド・玄花」と言います。
プレタポルテ(高級既製服)ではなくオートクチュール(テイラーメイドの一点物)を取り扱っています。
メゾンとは、ファッション業界では会社、または店という意味で使われています。 特にオートクチュールの店のことをメゾン・ド・クチュール(maison de couture)といいます。(Wikiはこちら)
オートクチュールとは?
フランス語で haute(オート) は「高い」「高級」を意味する形容詞 “haut ”の女性形。“couture (クチュール)”は「縫製」「仕立て服」のことで、オートクチュールとは注文により縫製されるテイラーメイドの一点物の高級仕立服のこと。(Wikiはこちら)
オートクチュールの対極はプレタポルテといい、高級既製品のことです。
オートクチュールは、限られた個人客からの注文を受け、一点一点手作業で製作した服を顧客に渡すという流れとなりますが、プレタポルテは、基本的には卸売業者から大量受注して生産する流れとなります。
玄花の場に足を運んでいただいた方には、もうすでに出来上がったやり方や方法論に該当するプレタポルテ(高級既製品)を身につけていただくのではなく、あなただけのオリジナルを構築するためのオートクチュールをご提供しています。
オートクチュール:あなただけのオリジナル/あり方
プレタポルテ:既存のやり方や方法論
純粋な氣づき〜7月3日蟹座新月-日食-遠隔エナジーワーク
2019.07.02
ホールネスであること①
〜自我(エゴ)の取説の再チェック〜
対話の中で、「私は〇〇に対して大きな氣づきがありました」、と聞くことがあります。
それに対して、「いいえそれは氣づきではなく、自我の生み出した新しい解釈と認識です。自我の生み出した新しいドラマです」とお伝えする時があります。
純粋な氣づきとドラマの違いとは何か?
今回の遠隔のテーマです。
生まれ立ての赤ん坊の頃。まだ、主体(自分)と客体(自分以外)という認識を持っていません。全てはひとつという感覚。それは私たちみなが持っている本質。
そこから私たちは認識を通して自我(エゴ)を発達させて来ました。
自我の生み出したものを観念と言います。
それはこの世界で生きる醍醐味。分離意識というエンターテイメント。
この世界は自我による解釈と錯覚の世界です。自我を本当の「わたし」と思うところから錯覚の世界がスタートします。
錯覚した「わたし」が様々なものを認識し解釈をし始めます。そう、ドラマの誕生です。
私たちはこれを連綿と繰り返しています。今この瞬間にも。
実のところドラマを生み出せることは素晴らしいことなのです。
しかし多くの人は自我の解釈と認識によるドラマを生み出し、そこからさらに新しいドラマ(問題と認識するもの)を生み出します。
玄花Works-POWER
2019.06.25
ポテンシャルを発揮し社会へ還元する
自分の今までの経験や学びや氣づきの全てを、自分という素材を活かす力に変え、社会への影響力へと転化する。
インスピレショーンを受ける側からインスピレーションを与える側へと、自在に立ち位置を変えることができる。しかし軸足は与える側にあること。
与える力の土台は、受け取る力=JUYOです。
人に訴えかける力
リーダーシップ
対話力
コミニュケーション、リーダシップ、プレゼンの本質を持ち帰ってください。
あなたという存在が発するものが動機づけとなり、人々が活性化する。動き出す。それが影響力。
あなたがこの世界に表現したいものは何ですか?
あなたがこの世界に伝えたいものは何ですか?
あなたのその伝えたい思いを取り出しながら、目の前の相手と共鳴する仕組みを伝授します。
③Crazy and Crazy
2019.06.25
2019年乙女座満月に寄せて
〜完璧で完全な個としてあなたと響き合う〜
①外へ羽ばたくための居場所
②外を指し示すアートの本質
独りあることが寂しく孤独が耐えられない人は、自分の外側にいる「他者」や「その他(自分以外の全て)」で、寂しいというぽっかりあいた穴を埋めようとします。
ひとつの物事に対する姿勢は、全ての物事に対する姿勢に繋がるので、「お金があれば安心(お金があれば自分の不安を埋められる)」と考える人も同じ思考パターンを根っこに持っています。
すると、「他者」や「その他(自分以外の全て)」を所有しようとしたり、依存しようとしたり、さらには支配しコントロールしようとし始めます。
このような行為があらゆる人間関係の問題の原因となっていき、人生がなんだかうまく行かないようなもどかしさを感じ始めます。
それが悪いと言っているわけではありません。自分が握りしめている思考パターン(観念)に氣づかないことが悪いのです。自分の観念に無意識・無自覚にいることが悪いのです。
だから氣づくこと(氣づきっぱの法則 by 玄花Works)無意識・無自覚でいることに意識の光を当てるだけ。それ以上のことは不要です。
自覚し生きることを、“目覚め”と言います
苦しみも悲しみも喜びも愛も、実のところ源は一緒です。そもそもエネルギーはひとつなんですから。
だって全ては繋がりあっているワンネスであり、それぞれの現象は、たったひとつのエネルギーの表現に過ぎないのですから。
②外を指し示すアートの本質
2019.06.23
2月20日乙女座満月によせて
〜起こすのではない、起こるのだ
アートの本質
独りあることの豊かさについて〜
①外へ羽ばたくための居場所
世界がきれいに見えなくてもいい、一人ぼっちでいい、幸せにならなくていい、という自分への許可は、幸せになっていいという許可よりも、ずっとやさしく強力な許しです。
何かをしようと思って一歩が踏み出せない時や、何かをしようと思ってためらいが先に来てしまう人は、「それをしよう」と力むほどに、それは出来なくなる。
「それをすることを自分自身に許可しよう」と、そう思ってみてください。
バシャールの言葉を借りると、豊かさという表現の時によく使われる「abundance」 とは、「やる必要のあることを、やる必要のあるときにできる能力」です。
abundanceという言葉はラテン語からきていて、『溢れ出てくる』という意味を持っています。『湧き出てくる』という意味です。
ワクワクすることが内側から湧き出ている時、それを止めるのはあなたの自我である思考以外にありません。
「それがいちばんワクワクすることだとわかってはいるのですが、でも、それを行動することができないんです」、という言葉を耳にします。
ワクワクすると「わかっている」「知っている」のなら、そのことは、必ず「実行」「行動」を伴います。
「わかっている」「知っている」けれど「行動できない」のならば、実はそれを「わかってはいない」「知らない」ということです。
①外へ羽ばたくための居場所
2019.06.23
2019年2月乙女座満月によせて
〜完全であるひとりの世界〜
私は現在、玄花幼稚園というコミュニティを主宰しています。
そこは内向きの社会ではなく、幼稚園があるからこそ外に飛び出していけると思える場を意図しています。
誰かの居場所にするつもりは全くありませんし、安心、安全、便利、快適を提供しようとも思っていないんです。
みんなの居場所作りを考えている人はとても多い。「居場所を作る」と。
かつての自分が大変な状況の時に、一人ぼっちで大変だったし寂しかったし助けになる誰かが欲しかったから、だからそんな寂しい思いをしている人の居場所になる場所を作るのだ、と。
それはとても素晴らしい志です。
私は常に、たったひとつの正解や真実はないんだよ。物事には必ず陰陽の二面があるんだよ、ということをお伝えしています。陰陽の原理です。
安心の居場所づくりはそれを担ってくださる方におまかせするとして、私はそもそも「一人ぼっちは寂しくて辛いだけなのか?」と自分に問いかけます。
誰も助けてくれない状況ははたして問題であり、苦しいことだけなのだろうか?と。
卵が先か?鶏が先か?のように、居場所を求めている人がいるから居場所を作るのか、居場所を作るから居場所が必要な人が増えていくのか。
自己犠牲の一切ない献身に私を捧げる①
2019.05.21
もうすでにそれはなされていますが、強いて確認するならば、自分を大いなるものに捧げ尽くしますか?
この問いを受け取ったのは、1月中旬の開催の、山羊座新月トークライブ&プレミアムセッション@釜山から帰国した頃のこと。
5月18日〜19日の京都ツアーを終えました。たった2日間ですが、今回の京都ツアーは4部構成で成り立っています。
18日11時から、占星術師であるルシエルと共同開催の「鞍馬寺ウエサク満月アクティベーションツアー」が様々な方々のご協力の元に開催されました。
まずは北野天満宮への参拝。
文子天満宮からスタートし、境内を歩く。あちこちに牛の像。
菅原道眞が丑年生まれであったこと。そして大宰府で生涯を閉じられた際に遺骸を運ぶ途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しています。
この日は蠍座満月ウエサク祭。釈迦が悟り、入滅した日が蠍座満月と言われ、世界各地でウエサク祭が開催されています。
また、1年に一度ウエサク満月の日にだけシヴァの住むカイラス山のエネルギーを使うことができると言われています。シヴァの乗り物は乳白色の牡牛。
北野天満宮で牛の像を見ながら、今宵触れるであろうシヴァのエネルギーを感じていました。京都のど真ん中で、シヴァ。これはこの夜の遠隔エナジーワークに繋がります。
北野天満宮で実際にエネルギーを強く感じたのは本殿ではなく摂社・末社である奇御靈神社。そして一夜松の伝説。
菅原道眞は死んだのち、神霊となって北野天満宮の地に降臨し、一夜にして千本の松を生じさせたという伝説があります。「一瞬の変容はありえる。一瞬の変容にオープンであるように。限界はないのだ」というガイダンス。
#1 持って生まれたものは全て私の役に立つ
2019.04.02
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