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PROFILE

玄花(ヒョンファ)

玄花(ひょんふぁ)
会社代表/講師/cultivator

東京生まれ
3人の子の母

2009年に夫を看取り、財産放棄し動産や不動産の全てを失い、生命保険や遺族年金もない無一文の状態から小学生3人の子育てと仕事の日々の中、2010年12月より表の活動が始まる。人生に何が起ころうともそれを生きる力に変容させながら生きる。それを体現しながら本質を語るパワフルなモチベーショナルスピーカーである。

現在、WSやリトリートを通して「本当の自分を生きる」大切さや楽しさを伝えている。

講座の核となるJUYOとは、自分の人生を丸ごと受け入れるもの。自分の人生で起こった全てを天性の開花や生きる力にしていく智慧。JUYOとは境地の高い受容の本質でありあり方です。その存在と人生経験で培ったものから配信される言葉とあり方にコアなファンが多い。

見えない世界を神秘主義や不思議ワールドに閉じ込めず、現実を生きる力に転化するあり方をお伝えしている。

物事の深い本質の領域に通じる存在として地球を下支えしている。

Short Biography

こんにちは、玄花(ヒョンファ)と申します。

生まれも育ちも東京下町。
父方と母方共に済州島にルーツを持つ在日韓国人3世です。

玄一族の直系長男の下に長女として生まれました。韓流ドラマさながらの、家系の伝統的な儀式である法事を受け継ぎ営み守り通している家庭です。

厳格な父と、父を支える典型的長男の嫁である母。私は初孫の内孫として祖父母に可愛がられ、歌が大好き。法事で親戚一同が集まるとすぐに歌って踊り出す。小さい頃はボーッと妄想したり本を読んだりすることが大好きな反面、閃くとすぐに行動することで周りを驚かせていました。

「人種とは何か?」「民族とは何か?」「私とは何か?」など、ひとつの物事を深く掘り下げて考え始めるようになったのはこの頃からです。

4人妹弟の一番上の長女。
責任感の強い長女気質とその真逆の繊細で敏感な感性を併せ持つ幼少期と盛大な反抗期の思春期を通り過ぎました。


<20代〜社会と関わる>

時はバブル景気。
学校を卒業し社会と関わる時期のスタートです。

金融機関に就職し、男女雇用機会均等法制定から施行後の流れで支店初の女性総合職として勤務する。3年半後に退職。 次に選んだのは、消費者金融大手が一部上場した頃の消費者金融です。4大大手に勤務しました。

「お金とは何か?」
お金というものの本質や経済のシステムについて知り考える機会を得ました。当時は多重債務が社会的な問題になった頃でもあります。お金によって人生が大きく変わっていく人たち。お金の持つ力やお金についての人々の思い込みを目の当たりにしました。

その流れで次は法律事務所の事務として勤務し破産や債務整理を担当。また別の視点からお金というものに関わりることになります。この経験は今にとても生きています。

20代は社会の中でお金に関わり、お金について学ぶ時期でした。


<30代〜子育てと専業主婦>

夫と出会いパートナーとなり長男を出産。そこから30代は妊娠・出産・子育ての日々のスタートです。

仕事はすっぱりとやめて専業主婦になりました。
20代のキャリアを懐かしく思うこともなく、仕事に復帰したいと思うこともなくその時その時に一生懸命でした。

なぜかピッタリと2年2ヶ月ごとに3人子どもが生まれます。授乳期が終わると妊娠するという流れ。総じて楽観的でありながらも、胸を張って「子育てが楽しい」と言えるほどでもなく、ただ日々を消耗しているような虚しさに襲われたことも多々あります。

4人目の子どもは妊娠9週目の心音確認後に流産するという経験もしました。

夫は経営者。事業の成功や失敗などのダイナミックな展開があり、妻としての関わり、母としては3人の子育ても相まってあっという間に時が過ぎていきました。

2009年1月12日。
子どもたちが5歳・7歳・9歳の時に悪性リンパ腫ステージⅣの1年半の闘病を経て夫を自宅にて看取る。

夫が倒れてからの経験は、想定外のことばかりでした。最終的に夫が亡くなった時には財産放棄し手放すものは手放し、遺族年金や生命保険もなくあるのはわずかな預貯金のみ。未知な未来へ向けて子どもたちとの新生活がスタートします。

この頃の経験は私を大きく成長させ、人智を超えた出来事も多く、今の私を支える土台となっています。


<40代〜自分を生きる。職業玄花へ>

夫を看取った後に、保育関係の正社員の職に就きます。初めての職種です。

親や先生に教えられるままに幼児がひとつひとつ「当たり前」を覚えていく姿は、自分の子育て中には見えなかったものを客観的に観る機会となりました。こうやって人の自我が形成されていくのだ、と。

そんな日々の中で、自分の中にも凝り固まった「常識」や「当たり前」や「正義」がたくさんあることに氣づき始めます。愕然としました。

今思えばこの頃に、本当の私を生きる人生がスタートしたように思います。


2010年4月。
小学生の子ども3人の母子家庭でフルタイムでの仕事。そんな日常の中で町内会の子ども会の会長を二期務める。東北大震災の時には横浜も大きく揺れました。多くの人たちが不安になる中で子どもたちが楽しめるイベントを開催し、連絡体系を変え、町内会と話し合い、誰でもが会長を務められるようにと仕事内容を改革して次に手渡しました。



人とのご縁や繋がりにより、今の生き方へとシフトしていきました。「職業 玄花」の誕生です。私が今まで生きてきた経験が全て役に立ち、私が提供するものが全て仕事になる。そのために自分を紐解くプロセスと並行しながら。

四柱推命や道教の靈符を用いた鑑定やセッションを展開。まずは独学で行けるところまで行き、そこから心や意識やエネルギーを本格的に学び始めました。

既存の業種の肩書きの枠には収まりませんので「職業 玄花」として活動しています。


働き方改革と言われる昨今ですが、自分が今まで生きてきた経験が全て自分の役に立つ生き方や生きる姿勢を大事にしています。


2011年よりWS形式の講座をスタート。
それらを通して伝えているのは、自分を信じる力であり、自分の人生を生きることの醍醐味と、生きることは楽しいのだということ。


オギャアと生まれ、認識を通して構築してきた自我の当たり前や常識を脱ぎ去り「自分はどう生きるのか?」を考える。自分で考え、自分で決断し行動し、それによって起こる全てに責任を持つこと。その過程において失敗はないということ。

そうして引き出された自分の天性を社会に還元し次世代に手渡すこと。


私は全てを失ったかに思えた自分の人生経験の中で、どん底と思った時にもそこにある愛とユーモアに気づきました。実は人生はとてもシンプルであるということを実感しています。それを講座やツアーの場を通してシンプルにお伝えしています。

夫を看取ってから子どもたちとの生活を営んで来れたのも、地域や学校の方々に支えられたからだと思っています。実家に帰らなかったのは子どもたちの心を考え生活環境を変えたくなかったことと長女気質の強がりがあったのかもしれません。


2019年4月。
末っ子次男の高校においてPTA会長の要望をいただき、ここまで無事に3人の子どもを育てることができたご恩返しの集大成として快く引き受けました。もちろん「面白そう」と思ったのが正直なところです。

本当の自分を生きること。
自分の本当を生きること。
それが自分にできるこの世界への貢献の一歩である。


自分の持っている生きる力を最大限引き出すこと。あなたが元々持っている元氣を取り戻すこと。それにより自分を信じる力を発揮すること。

私はそれをサポートすることを通して人々に貢献し、次世代へ繋ぐ架け橋であろうと思っています。


Philosophy

「遊ぶ大人が世界を創る」

子どもたちが「早く大人になりたい!」と思う大人を増やす。それが弊社の理念です。

なぜならそれが、全てのものが元氣になることへと繋がる自己犠牲のないシンプルな、この世界に対する貢献だからです。



「こうしても生きていける」
「こうやっても生きていける」
「何が起きても生きる力に変えていく」

そしてつまりは「生きるってね、楽しいの!」ってこと。



かの老子はいいました。
「天地万物の根源となるものを“玄”と言う」と。

”玄”はあらゆることの始めで終わり。



玄という名前の元に生まれました。
玄を体現し表しうるべく精進したいと思っております。さらには玄のまた玄...



あなたが自分の天性を開花しオリジナルを生きるその場所へ。

誰しもの奥にある根源の“玄”を”花”開かせる。
だから私は“玄花 ”なのです。


持って生まれた天性を生き生きと発揮し、本気で生きる大人が創る世界を次世代へ手渡す。

そんな世界をご一緒しませんか。

リアルにお会い出来ます事を楽しみにしております。