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自己犠牲の一切ない献身に私を捧げる①
2019.05.21

もうすでにそれはなされていますが、強いて確認するならば、自分を大いなるものに捧げ尽くしますか?
この問いを受け取ったのは、1月中旬の開催の、山羊座新月トークライブ&プレミアムセッション@釜山から帰国した頃のこと。
5月18日〜19日の京都ツアーを終えました。たった2日間ですが、今回の京都ツアーは4部構成で成り立っています。
18日11時から、占星術師であるルシエルと共同開催の「鞍馬寺ウエサク満月アクティベーションツアー」が様々な方々のご協力の元に開催されました。
まずは北野天満宮への参拝。
文子天満宮からスタートし、境内を歩く。あちこちに牛の像。
菅原道眞が丑年生まれであったこと。そして大宰府で生涯を閉じられた際に遺骸を運ぶ途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しています。
この日は蠍座満月ウエサク祭。釈迦が悟り、入滅した日が蠍座満月と言われ、世界各地でウエサク祭が開催されています。
また、1年に一度ウエサク満月の日にだけシヴァの住むカイラス山のエネルギーを使うことができると言われています。シヴァの乗り物は乳白色の牡牛。
北野天満宮で牛の像を見ながら、今宵触れるであろうシヴァのエネルギーを感じていました。京都のど真ん中で、シヴァ。これはこの夜の遠隔エナジーワークに繋がります。
北野天満宮で実際にエネルギーを強く感じたのは本殿ではなく摂社・末社である奇御靈神社。そして一夜松の伝説。
菅原道眞は死んだのち、神霊となって北野天満宮の地に降臨し、一夜にして千本の松を生じさせたという伝説があります。「一瞬の変容はありえる。一瞬の変容にオープンであるように。限界はないのだ」というガイダンス。
陰と陽のエクスタシー
2019.05.04

自分本来の存在としての「本質」、
生まれてから構築してきた「私」という自我
さらに本質と自我が統合された「わたし」
その三位一体で人生という波乗りを楽しむ。
本質意識に目覚め、今世何をするために生まれたのか?を見出すことに私という自我を味方につけ、肉体を通してわたしを世界に表現し体現する。
「私」が生きている限り、自我は一生無くなることはない。
自我を手放すのではなく、受容する。受容することで本質と自我がタッグを組み、新しい「わたし」が生まれる。
受容とは何なのか?
ということは玄花Works-JUYOでお伝えしている。
自己犠牲的な受け身の受容ではない。起こる現実に抗うことなく全てをJUYOする。自分が持って生まれたものをすべてJUYOする。
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